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F-4D-25-MC/64-0959
↑ F-4D部隊編成にあたり機材は、上の機体も含め多くが、ニューメキシコ州のホロマン空軍基地第49戦術戦闘航空団(49th TFW)から移管されたものである。ホロマンの49th TFWは、F-15A/Bへの更新を行っており、余剰の機体を州空軍に回していた。
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F-4D-25-MC/64-0952
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F-4D 178th FIS/ North Dakota ANG
(F-4D 1977-1990)
178th FISの起源は第二次大戦中、カルフォルニア州ハミルトン飛行場で創設された第392戦闘機中隊となる。ノースダコタ州空軍としては1946年5月の創設であるが、P-51ムスタング戦闘機を使っていた。迎撃戦闘機部隊としてF-102やF-101戦闘機を経て、1977年にF-4D戦闘機を受領している。ファントム戦闘機を使う前から尾翼には赤いラインを入れて、”Happy Hooligans”の文字が入っていることから、航空マニアでは有名な飛行隊である。この由来についてはF-16のページで紹介しているので割愛するが、1950年代の飛行隊長であった”Pappy”ラーソン中尉と乱暴者たちと呼ばれた彼の部下に由来している。ページは、写真が多数有る為、1970年代後半のベトナム迷彩時代とエアクラフトグレー時代に分けてご紹介する。
F-4D-25-MC/64-0949
↑ 1982年1月に撮影されたF-4C/64-0753
F-4D-25-MC/64-0942
↑ 上の4枚の写真は1,978年の3月から6月にかけてヘクター飛行場で撮影されたもの。同飛行隊は州空軍として活動を始めた1947年から現在まで一貫してここヘクター飛行場を本拠地にしているが、今は”ファーゴ空軍州兵基地”と呼ばれるようである。”The Happy Hooligans”の名前の由来となったデュアン・S・ラーソンは、第二次大戦中は、P-51戦闘機のパイロットで空軍十字章を授与された地元の英雄でもある。彼は、大戦後引退していたが、州空軍の設立後1951年に再び州空軍に入り、178th FISの司令官となって1969年に航空団司令で引退するまで活躍した。その間も”Pappy”として慕われた。1950年代の彼の部下は、喧嘩早い荒くれ者が多く、フーリガンと呼ばれていたそうである。ある処の彼へのインタビュー発言をきっかけにPappyがHappyに替って部隊ニックネームとなった。
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↑ 上の写真は、全て1977年10月に州航空隊の本拠地ヘクター飛行場で撮影された178th FISのF-4Dである。1977年にF-101BからF-4Dに機種交換され、直ぐに撮影されたもので早速”The Happu Hooligans”の部隊にニックネームが入れられた。各機シリアルナンバーの末尾2桁を大文字にして、運用上の見分けが付き易い様 工夫したものと思われる。末尾50番台と70番台が多く、重複した機体が無ければ、そのままModex代わりに使えたはずである。
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↑ この白い注意書きが殆どない機材は、在欧米軍スパンダーレムから移管されたD型である。
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